2018-02-14 第196回国会 衆議院 予算委員会 第11号
配付資料を配らせていただいた中で、彼の「日本外交史 二十七」という著書があるんですけれども、私がアンダーラインというか傍線をつけさせていただいた部分を読みますと、 最も重要なのは、いわゆる「極東条項」の挿入である。その結果、それまでの案文では在日アメリカ軍隊は外部からの攻撃に対して日本の安全に寄与するためにあるとされていて、在日アメリカ軍隊による日本防衛に疑問はなかった。
配付資料を配らせていただいた中で、彼の「日本外交史 二十七」という著書があるんですけれども、私がアンダーラインというか傍線をつけさせていただいた部分を読みますと、 最も重要なのは、いわゆる「極東条項」の挿入である。その結果、それまでの案文では在日アメリカ軍隊は外部からの攻撃に対して日本の安全に寄与するためにあるとされていて、在日アメリカ軍隊による日本防衛に疑問はなかった。
少し戻っていただいて、十五ページと十六ページ、これは、西村の著書「日本外交史 二十七」の一節ですけれども、この、私がラインを引かせていただいたところを読ませていただくと、 最も重要なのは、いわゆる「極東条項」の挿入である。その結果、それまでの案文では在日アメリカ軍隊は外部からの攻撃に対して日本の安全に寄与するためにあるとされていて、在日アメリカ軍隊による日本防衛に疑問はなかった。
「日本外交史 二十七」という本の内容なんです。十九ページ目に、この二行、百七十四ページに書いてあるんですけれども、いろいろな「などなど——について、」この線は私が引きました、「充分考慮を払わないで「同意あって然るべし」との結論を総理に上申したことは、今日に至ってなお事務当局として汗顔の至りである。」ああ、なるほど、こうだったのかと。
戦後日本外交史に残る成功である、日本の国益にとって大きな成果であるのみならず、東アジア戦後国際関係史に新たな一ページを開くものであると専門家の評価を得たのも、ひとえにこの安全保障上の意義が重視されたからであります。 さらに、平壌宣言は、日朝関係の正常化を東北アジア地域の平和と安定のための協力と位置づけています。
非常にこれは、日本外交史におけるいわば恥辱的な質疑に当たったんではないか、あるいは、日本の外交のターニングポイントとも言えるような貴重な、歴史的な質疑ではなかったかというふうに私は思っております。
今の平沼先生のお話を聞いて、私、この資料のもう一つの方、「戦後日本外交史」という昨年私の編著で出版したもののあるページが先ほどの「憲法意識の変遷」のグラフでありますが、その中の占領を扱ったところのコラムにも書いたのですけれども、ひいおじいさんの平沼枢密院議長さんは、日本がポツダム宣言を受諾するに当たって、御承知のように、陸軍は、徹底抗戦、本土決戦を主張し、それに対して外務大臣、東郷外相は、国体護持ということの
私は、国際関係論及び日本外交史を専攻しており、そういう立場からきょうは陳述したいと思っております。 最初に、少し総論的なことから始めたいと思いますが、戦後、日本の外交というのは、戦前の反省もありまして、平和主義に徹してきた。戦後五十年間以上、日本は戦争に巻き込まれることなく来たということは大変幸いだったというふうに思っております。 また、戦後は、日米関係を主軸とする外交を展開してまいりました。
例えばこの「日本外交史」という本でいいますとこういうふうに、御承知かと思うのですが、随分その当時日本は大幅な侵略行為を行って、ずっとやっています。ただし通産大臣が言っていますのは、太平洋の各地域を戦場とした事実はございます、こう言っています。だから、単に広い戦域という意味じゃなくて、やはり確定した一定のところについて物申しているというふうに感じるのですが、いかがでしょうか。
○和田(一)委員 いろいろお聞きしたいのですが、時間がありませんので、先ほど日本で会談が持たれたカンボジアの問題ですけれども、確かに戦後の日本外交史をひもといても、こういう地域紛争について日本みずからがその紛争解決の方向に向かって汗をかいたというようなことはなかったように思います。大臣もそういうふうにおっしゃっておりました。
○高石政府委員 南京事件については、一般的に、外務省の外交史料館による日本外交史辞典の中でも南京事件のことが触れられているわけでございます。したがいまして、そういう事件があったというのは、いわば大多数の学界において通説というふうになっていると思います。
だから、私がここで言いたいのは、このよう秘して歴史の教訓を学ぶときに大事なのは、これは私の好きな本ですが、池井優さんの「日本外交史概説」というやつ、そこに書いておるんですがね、第二次近衛内閣をつくるときに、近衛さんが外務大臣に松岡さんを選んだ、そのときのことが詳しく書いてあります。それを抜粋しますと、なぜ選んだかというのは「松岡の心臓と気力と詭弁的な能弁と術策が陸軍を押えるに役立つ」と書いてある。
昭和四十六年に最終的に赤木正雄氏、砂防協会常務理事、専攻砂防工学を推薦したのは青木楠男氏、早大名誉教授、専攻土木工学であり、昭和四十八年に鹿島守之助氏、拓大名誉教授、専攻外交政策、日本外交史を最終的に推薦したのは板垣与一氏、一橋大学名誉教授、専攻経済政策となっております。したがって、毎日新聞のいうA、B、C、Dの諸氏はこれらの方々だと推測をいたしております。
従来、佐藤内閣は、台湾政府をささえて独特の一つの中国論なるものを仕立て上げ、これを切り札にして中国問題の矢面から身をかわしてきたが、その論理はもはや日本外交史の過ぎ去った記録とも見るべきものであって、本日の国際外交の舞台は、すでに次の局面に向かって新しく展開し始めておるのであります。
○田中(稔)委員 そうすると今度、AAグループが日本の国連加盟を支持したことは、高碕さんのバンドン会議における外交の成果の一つだということにもなるわけですが、バンドン会議に高碕さんが出席されましたことは、日本外交史における重大なできごとだと思うのであります。バンドン会議は御承知の通りに、世界平和と協力の促進についての宣言というものを、閉会に当りまして発表いたしました。